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頤和園 店舗面積100坪 2007年10月開店 霞が関店 Vol.2
『 頤和園 』 老舗中国料理屋として再興の成功サンプルだ
 『頤和園(いわえん)』は、昭和30〜40年代に全国で多店舗化を成就させた、老舗中国料理店のさきがけ。日本の高度経済成長と同調するかのように店舗数を伸ばし、百貨店を主体に博多から札幌まで最大約48店舗を構えた。中国料理がまだまだ珍しかった昭和20年代、先々代が大阪で創業。東京では、東京駅大丸での開店が最初の成功店だ。かの陳健民氏が、来日し最初に下宿したのが大阪で、それは『頤和園』先々代の本宅。昭和も随分と昔のこととなったが、こんな逸話を持つ老舗が『頤和園』なのだ。
 この老舗を、平成12年に継承したのが、三代目社長、渡辺泰男氏(52歳)。
継承後の約10年間、彼の仕事のほとんどは、閉店につぐ閉店の作業。「会社を全て清算することも一時は決意しました。だから閉店は誰よりも達者、私は閉店のプロ、ノウハウ教えたい」などと、冗談か本気か笑いながら陽気に渡辺氏は話される。彼のキャリアは大手百貨店外商部門から始まるが、その陽気な話ぶりの裏には、日々、苦渋の連続があったと容易に想像できよう。
 さて現在の『頤和園』は四店舗である。溜池本店70坪、霞ヶ関店100坪、福岡店170坪、名古屋店70坪。どの店も月坪30万円に届く高収益店である。中国料理店としては、超がつく繁盛店なはずだ。特に今回取材した「霞ヶ関店」は、新しいビルの三階に100坪で平成19年10月に開店。開店後、直に絶好調。今も収益は右肩上がりなのだ。こんな繁盛業態の再創造は、実は、『頤和園』溜池本店の業態転換実験から始まっている。
顧客に媚びず、 顧客を大いに満足させること、 その割り切りの良さに感服
 業態転換実験その一は、古色蒼然の四川系料理を一新させ、法人向け大皿での卓料理から、個人向けカジュアル中華へ変えることから始められた。まず、ランチでは、料理をつくり置くことをやめるため、坦々麺に昼食顧客を誘導し、週代わりのランチを、オーダー毎に丁寧に調理した。(坦々麺オーダー率33%)伝統や古典の伝承は怠らずに「今」をとらえ、「庶民の、そして東京中華の王道へ」がスローガン。実験その二は、酒の種類を増やしに増やすことだった。夜は、おおいに酒を飲ませたい。ジンベース、ウォッカベースのカクテルまで提供する町場の中華屋さんに大変身。その狙いは、異国情緒たっぷり、でも懐かしい中華の内装での仲間内宴会、その新たな創造だった。サラリーマン仲間内、それも大勢での酒宴ではどこにも負けないという自負。「銘柄毎に原価計算し値付けた一杯の酒、会計がいちいち面倒なので全て同じ額にしてみました。利益額はほとんど変わらなかったのですよ。」日々の実験からの割り切りである。総厨秋場氏は、近隣のサラリーマンとOLに、手をのばせば届く豪華さを、手軽でCPに優れた『頤和園』スタイルで提供することに差別点を置いた。料理はもちろんだが、この『頤和園』スタイルづくりにこそ彼の妙味がある。飲食店繁盛の基本、「提供満足対価格ギャップ」の実現である。昼に、そして夕刻から酒宴で日に二度訪店、そんな顧客が多々な店。「こんな店になりたい」、誰もがそう思う羨望店だろう。
 しかし忘れてはならないのは、老舗再興への、日々の努力と研鑽、そして負けてなるものかという気概なのだ。
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Vol.1 焼鳥 鳥よし 赤坂店
Vol.2 中国料理 頤和園 霞が関店
Vol.3 富山の漁 紋屋 泉岳寺店
Vol.4 中国割烹 泰南飯店 神保町店
Vol.5 中国料理 神楽坂 芝蘭
Vol.6 中国料理 煌蘭 丸の内店
Vol.7 上海 小南国
Vol.8 湘南おでん 海まる 丸ビル店
Vol.9 中国薬膳料理 星福 銀座本店
Vol.10 鮨処 銀座福助 大崎店
Vol.11 鶏繁 大丸百貨店東京店
Vol.12 コションドール香味屋
Vol.13 目黒雅叙園 旬遊紀
Vol.14 中国料理 煌蘭 川崎店
Vol.15 香港1997
Vol.16 中国料理 頤和園 京橋店
Vol.17 ソンブルイユ
 
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